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やりたい仕事より「耐えられる仕事」から始めよう

やりたい仕事より「耐えられる仕事」から始めた話 🪫
子どもの頃から「好きなことを仕事にすべき」とよく聞いた。 好きなことじゃないと続かないと言われた。
でも、現実は違った。
私はやりたいことを選んで今の道に来たわけじゃない。 いろんなことを経験して人生の意味を見つけたかった。 でも、家庭環境はそれを許してくれなかった。 国内旅行すら贅沢だと感じた時から、何かを始める前に諦める癖がついた。
大学にも本当は行きたくなかった。 でも高卒と大卒の差は大きすぎた。 貧しい家庭では、学費や進路選択も簡単なことではない。
だからこそ私は、「選ぶなら、耐えられる道」を選んだ。
🛠 基準は「好き」じゃなく「耐えられるか」
プログラミングの勉強をしているとき、私は本当に才能がないと思った。 周りは簡単に通る試験で、私は3回もF(落第)を取った。 それでも私は諦めなかった。
朝4時に起きて大学へ行き、午後はバイトで生活費を稼ぎ、 夜は課題と開発勉強、寝るのは深夜2時。 そんな生活を続けた。
大半の同級生は途中で脱落した。 でも私は最後まで耐えて、複数の企業から内定をもらい、 最終的にはアメリカのスタートアップに就職した。
🧠 感情より先に現実を見た
- 家に余裕がない
- 安定した収入が必要
- 技術職は比較的高収入でリモート可能
- 他の道を選ぶ余力はなかった
だから、「今、耐えられるものをやろう」 と思った。
🧩 自分なりの判断基準を作った
最初の選択でつまずいた私は、その後は「完璧な職場」ではなく ストレスの少ない働き方ができるかを優先した。
例えば:
- 人とあまり会わない仕事か?
- 会議が少なく整理された業務か?
- ルーティンが明確で残業が少ないか?
- リモート勤務が可能か?
仕事内容よりも、環境が耐えられるかが大事だった。
だからこそ、ある国内のAI企業で好条件のオファーをもらっても断った。 理由は、日本特有の上下関係文化に疲れていたから。
お金もなく、就職市場も冷え込んでいた中で、自らチャンスを捨てた私はバカだと思った。 でも後悔しないために「絶対に外資系企業に就職して成功する」と決めた。 そして本当に卒業直前に叶えた。
🔄 副業は私に「余白」を与えてくれた
今働いているアメリカの会社では、私を一人のプロとして尊重してくれる。 柔軟な勤務環境で、とてもありがたく感じている。
ただ私は家族を支える立場でもあり、 給与の50%以上を生活費に使っている。 家族の医療費や保険料も私が負担している。
そんな現実から、副業を始めざるを得なかった。
きっかけはポジティブではなかったが、 副業を通じて成長できたのは間違いない。
副業を通して様々なことを体験し、 「キャリアを一つに絞る必要はない」と学んだ。
やりたいことは、今もはっきりとは分からない。 でも今していることを「自分が耐えられる形に変えていく」努力は続けている。
その中で、少しずつ自分らしい働き方が見えてきた。
🧘 結びに:やりたいことは後で考えよう
「今の仕事は本当に自分のやりたいことじゃない」 そう感じても大丈夫。 それはあなたのせいじゃない。そうなるしかなかった時期があっただけ。
だから私は今日も、 できることを、自分なりのやり方で続けている。
それが、今の自分を守るキャリアの選び方なのだ。